第11章:活性化の仕組み フライング・コード~遺伝子の胎動~ 

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第11章:活性化の仕組み フライング・コード~遺伝子の胎動~ 

朝日が山々の稜線を金色に染め、「天ぷら屋みれい」を優しく照らしていた。清六は早起きして、玲の指示通り食堂の前にある小さな広場に出ていた。

ひんやりとした朝の空気が頬を撫で、遠くの山並みは霧に包まれている。鳥のさえずりだけが静寂を破っていた。

「遅れないでよかったわね」

背後から玲の声がした。振り返ると、彼女は髪を短くまとめ、シンプルな作務衣姿で凛と立っていた。その声は澄んでいて、朝の空気に心地よく響いた。

「おはようございます」

清六は軽く頭を下げた。

「今日から特訓開始よ。覚悟はできてる?」

「はい」

清六は拳を軽く握りしめ、胸の奥に新しい炎が灯ったような感覚を覚えていた。昨夜の養父の告白以来、彼の中にはこれまでにない強さが芽生えていた。自分を守るためだけでなく、「活性化」の支配下にある九重千尋を救うためにも、この力をコントロールしなければならない。

「まずは座りなさい」

玲は広場の中央に敷かれた藁のマットを指さした。清六がそこに座ると、冷たい感触が体に伝わる。玲も向かい合って座り、二人の間に静かな緊張が漂った。

「『活性化』の仕組みを理解することから始めましょう」

玲の表情は真剣だった。

「あなたは自分の体内で何が起きているのか、知っているの?」

清六は一瞬考え、首を横に振った。

「いいえ…」

玲は短く頷き、少しだけ間を置いてから落ち着いた声で話し始めた。

玲は指先で空中に図を描くような仕草をしながら説明した。

「私たちFCTシリーズの体内には、通常の神経回路とは別に、特定の刺激にだけ反応する“活性化回路”が組み込まれているの。」

「特定の刺激?」

「そう。清六の場合は『とり天』に関連する刺激ね。特に揚げ油の香りや温度が主なトリガーになっている。」

清六はあの日の油の香り、頭の奥を突き抜けるような痛み、そして自分の手が勝手に動き始めた感覚を鮮明に思い出していた。

「その刺激を受けると、脳内で何が起こるんですか?」

「大脳辺縁系と前頭前皮質の間のバランスが崩れるわ。簡単に言えば、感情や本能を司る部分が活性化し、理性や自己意識を司る部分が抑制されるの。」

「だから意識がなくなるように感じるんですね」

「そう。完全に無くなるわけじゃないけど、自分の意思で体を動かせなくなる。代わりに『とり天』の調理技術がプログラムされた運動パターンが起動するの。」

清六は自分の手を見つめた。フライドチキン店でも料亭でも、彼の手は自分の意思とは関係なく、完璧な調理動作を行っていた。

「でも、どうやってそんな技術が…」

「遺伝子レベルでプログラムされているのよ。まるで膨大なレシピデータをAIにインストールするみたいなもの。私たちの遺伝子には、何世代もの料理人の“記憶”が圧縮されているの。」

「まるでSF映画みたいだ…」

「現実はときに創作より奇妙よ」

玲は皮肉っぽく笑った。

「で、どうすれば『活性化』に抵抗できるんですか?」

「それには二つの段階があるわ」

玲は指を立てて説明した。

「まず第一に、自分の『核』を見つけること。これは『活性化』状態でも保持できる、あなたの本質的なアイデンティティよ。」

「核…ですか?」

「そう。私の場合は『自由への渇望』だった。どんなに『活性化』されても、自分は自分であり、誰にも支配されたくないという強い意志ね。」

清六はしばらく黙り込み、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。「僕の場合は…文学かもしれません。」

「文学?」

「はい。僕は文学部の学生で、小さい頃から本を読むのが好きでした。どんなに混乱した時も、文学の世界に入ると心が落ち着くんです。」

玲は目を細め、どこか誇らしげに頷いた。

「いいわね。それがあなたの“核”なら、きっと活性化にも負けないわ。」

その声には期待と励ましが込められていた。

「でも、どうやって…」

「それが第二段階よ。意識的に『活性化』に入り、その状態で自分の『核』を保持する訓練をするの」

清六は手のひらに汗がにじむのを感じながら、玲の後ろ姿を追った。

「今から…やるんですか?」

「ええ、でもまずは基礎から」

玲は立ち上がり、食堂の方に向かった。

「来なさい。実践的な訓練よ」

***

食堂には朝の柔らかな光が差し込み、皆が静かに朝食をとりながら二人を見守っていた。沙織は不安げに、それでも信じるような眼差しで清六を見つめていた。

「おはよう、清六くん」

沙織が明るく声をかける。

「特訓、頑張ってね」

「ありがとう」

清六は微笑みを返した。沙織の応援が、彼に勇気を与えてくれる。

玲は調理台に立ち、油を鍋に注ぎ始めた。

「『活性化』のトリガーとなる刺激に、少しずつ慣れていくのよ」

彼女は油を温め始めた。やがて、かすかな揚げ油の香りが食堂に広がる。

「この香りを嗅いで、どう感じる?」

清六はゆっくりと息を吸い、心臓の鼓動が少し速くなるのを感じた。油の香りが鼻腔をくすぐり、頭の奥がざわつく。しかし、前回のような激しい頭痛や意識の喪失はなかった。

「少し…頭の中がざわつく感じがします。でも大丈夫です」

「それは『活性化』の初期段階よ」

玲は説明した。

「刺激が弱いから、完全な『活性化』には至らないの。この状態で、自分の『核』—文学への愛—を意識してみて」

清六は目を閉じ、心の中で文学作品の一節を思い浮かべた。夏目漱石の「こころ」の冒頭部分。

「私はその人を常に先生と呼んでいた…」

油の香りはまだ彼の周りに漂っていたが、文学の言葉に意識を集中することで、頭のざわつきが少し落ち着いたように感じた。

「どう?」

玲が尋ねた。

「少し良くなりました。文学を思い出すと、頭の中が整理されるような…」

玲は満足そうに微笑み、「それがポイントよ」と静かに言った。その声には、清六の成長を心から喜ぶ誇りが滲んでいた。

「『活性化』状態でも、自分の『核』に意識を向けることで、完全に支配されるのを防げるの」

玲は油の火を少し強くした。香りがより濃く広がる。

「もう少し強い刺激にチャレンジしてみましょう」

清六はこめかみに鈍い痛みを感じながらも、心の中で「僕は清六だ…文学を愛する清六だ…」と必死に繰り返した。額には冷や汗が滲み、手のひらがじっとりと湿っていた。

沙織は椅子の端で身を乗り出し、今にも駆け寄りそうなほど心配そうな目で清六を見つめていた。凪子と霧島も静かに息を呑んでいる。

「清六くん、無理しないで」

「大丈夫」

清六は微笑んで答えた。意識はしっかりしていた。

「よくやってるわ」

玲は油から火を引き、満足げに微笑んだが、その目はまだ次の課題を見据えていた。

「これが基礎訓練よ。毎日少しずつ刺激の強さを上げていき、『活性化』に抵抗する“心の筋肉”を鍛えるの」

「わかりました」

清六は深く息を吐いた。最初の訓練はうまくいったようだ。

***

「これで終わりじゃないわよ」

玲がカウンターに戻ると、食堂内の空気が一変した。皆が自然と背筋を伸ばし、彼女の言葉に耳を傾ける。

「『活性化』の仕組みをもっと詳しく話しておきましょう。特に、由布厚生の計画について」

食堂内に緊張感が走った。

「由布厚生は、このプロジェクトの政治的スポンサーだった」

玲は拳を握りしめ、低く息を吐いた。声は冷静だったが、その目には怒りが宿っていた。

「彼は最初から『食の安全』や『文化保存』には興味がなかった。彼の本当の目的は『食による支配』なのよ」

「食による支配…?」

沙織が恐る恐る尋ね、椅子の端で身を縮める。

「そう。人間の基本的欲求である『食』をコントロールすることで、人々を支配する計画よ」

霧島が割り込んだ。

「GFOの調査によると、由布厚生は長年、食品安全政策の裏で独自の政治的野心を持っていた。食品資源庁の特別顧問という立場を利用して、食品業界に強い影響力を持っている」

「そして、私たちFCTシリーズが、その計画の核心なんだわ」

玲は続けた。

「『活性化』された料理人が作る料理には、人間の判断力に影響を与える効果がある。それを政治的に利用すれば…」

「恐ろしい結果になる」

誠司は腕を組み、重々しく言った。

「由布厚生は『国際食品フォーラム』で、九重千尋を使って何かを企んでいる。おそらく、各国の政治家や食品業界の重役たちに、彼女の料理を食べさせるつもりだろう。もし各国のリーダーが一時的にでも判断力を失えば、国際的な合意や政策決定が歪められる。世界の食糧供給や安全保障にまで影響しかねない」

「でも、その効果はそんなに強いの?」

凪子が眉をひそめて尋ねた。

玲は少し迷った後、真実を語った。

「効果の強さは個人によって異なるわ。単に『異常に美味しい』と感じるだけの人もいれば、一時的に判断力が鈍る人もいる。しかし…」

彼女は声を落とした。

「九重千尋の場合は特殊よ。彼女の『活性化』は完全制御下にあり、外部から指示を受けて分泌される特殊なペプチドや、特別な添加物が混ぜられている可能性もあるの。まるで人間を“道具”として使うようなやり方よ」

清六は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、「実際、料亭での客は意識を失っていました」と声を震わせた。

「あれは催眠効果が強化されていたからでしょうね」

玲の声が静かに響いた。

霧島は資料をテーブルに広げながら説明した。

「由布厚生は長年、食品添加物の研究も支援してきた。FCTシリーズの能力と化学物質を組み合わせることで、より強力な効果を狙っているんだろう」

「つまり、彼らは『料理遺伝子人間』を兵器として使おうとしているんですね」

清六の声には怒りが混じっていた。

玲は拳を握りしめ、低く息を吐いた。

「そう。私たちは彼らにとって、単なる道具でしかないのよ」

「だからこそ、私たちは自分の力をコントロールし、彼らの計画を阻止しなければならない」

沙織は不安げに眉を寄せながらも、清六の隣に寄り添った。

「でも、どうやって?」

玲は清六をまっすぐ見つめた。

「まず第一に、清六が『活性化』をコントロールできるようになること。そして『国際食品フォーラム』に潜入し、九重千尋を救出する。彼女なしでは、彼らの計画は成功しないわ」

凪子は目を細め、手帳を握りしめて言った。

「私たちも協力します。ジャーナリストとして、この事実を世に知らせるべきです」

霧島は眼鏡越しに玲を見つめ、静かに頷いた。

「GFOも動く。国際法違反の疑いがある以上、正式な調査が必要だ」

誠司は静かに拳を握りしめた。

「僕も。彩乃と連絡を取り、内部情報を得ます」

「みんな…ありがとう」

清六は感謝の気持ちで胸が熱くなった。一人では無力だと思っていたが、こんなにも多くの人々が彼を支え、真実のために立ち上がろうとしている。

「さあ、特訓を続けましょう」

玲は立ち上がった。

「時間がないわ。『国際食品フォーラム』まであと5日しかない」

清六は深く息を吸い、胸の奥で鼓動が高鳴るのを感じた。沙織の視線を受けて、小さく頷き返す。

「大丈夫。必ず『活性化』をコントロールできるようになる」

***

その日から、清六の特訓が本格的に始まった。朝から夕方まで、油の香りやパチパチと弾ける音が食堂に響き渡る。夜には、静かな山の闇の中で、玲の講義が続いた。

一日一日と、清六は少しずつ進歩していった。最初は軽い刺激でも頭痛に苦しんでいたが、次第に強い刺激にも耐えられるようになっていった。

「あなたの『核』が強くなってきているわ」

三日目の夕方、玲は清六の進歩を褒めた。

「もう少し強い刺激でも試してみましょうか」

清六は頷いた。玲は油に火をつけ、本格的な調理を始めた。天ぷらの衣をつける音、油が材料に触れる音、立ち上る香ばしい香り—これらすべてが「活性化」のトリガーとなる要素だった。

清六はこめかみを押さえ、視界の端がじわじわと黄金色に滲むのを感じた。手が震え、指先が油の跳ねる音に反応して動き出しそうになる。

頭の奥に鋭い痛みが走り、体が勝手に動こうとする感覚。しかし、彼は必死に抵抗した。

「僕は清六だ…文学を愛する清六だ…」

彼は心の中で文学作品の一節を繰り返した。視界の黄金色が少しずつ薄れていく。そして、彼は意識を保ったまま、自分の体をコントロールし続けることができた。

「やったわ!」

玲は喜びの声を上げた。

「初めて強い刺激にも耐えられたわね」

清六は大きく息を吐き、汗が額を伝うのを感じながら、椅子に身を預けた。体中の力が抜け、心地よい疲労感と達成感が全身を包む。

「できた…」

彼の顔に疲れながらも、達成感に満ちた笑顔が浮かんだ。沙織は涙ぐみながら清六に駆け寄り、喜びの表情で彼を抱きしめた。

「清六くん、すごい!」

沙織の温かさが、疲れた清六の体を包み込む。彼は沙織にもたれかかりながら、微笑んだ。

「ありがとう…応援してくれて」

凪子と霧島も思わず微笑みながら拍手を送り、玲は安堵と誇りが入り混じった表情で清六を見つめていた。

「これは大きな一歩よ」

玲は満足そうに言った。

「でも、まだ完全ではない。本当の『活性化』はもっと強力だから。明日からさらに訓練を続けましょう」

清六は疲れながらも、決意を新たにした。彼はもう「活性化」に怯えることはない。これは彼の一部であり、彼自身のものなのだ。そして、彼はこの力を使って、九重千尋を救い、由布厚生の邪悪な計画を阻止するだろう。

「必ず…成功させる」

清六は静かに誓った。山の食堂に夕日が差し込み、彼らの顔を赤く染めていた。

窓の外では虫の声が響き、時間の流れだけが静かに迫ってくる。

「国際食品フォーラム」まで、あと二日。

第12章:母と呼べない人

 

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