第14話 こいゆび、ひみつ 「あの日の余韻 琴音」

お知らせ

当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。

広告

第14話 こいゆび、ひみつ 「あの日の余韻 琴音」

六月の教室に湿った風が流れ込む。窓際のカーテンがゆらりと揺れ、机の上のプリントの端が波打った。

(梅雨って、体までじっとり重たくなる……)

琴音は鉛筆を転がしながら黒板を見つめていたが、先生の声は耳の奥でぼやけている。

窓の外では青いアジサイが雨上がりの光を浴び、葉の裏から滴り落ちる水の粒がガラス越しにきらりと光った。

「はい、進路希望調査のプリント配るぞ。ちゃんと家で書いて、来週までに出すように」

担任の声が教室に響き、生徒たちが一斉にざわめく。

「めんどくさいね」「また進路かぁ……」

プリントが前の席から順に回され、紙の擦れる音や小声のやりとりが耳に入る。

琴音のもとにも一枚のプリントが回ってきた。紙は少し湿気を帯びていて、端がふやけている。ぼんやりと名前を書く欄を見つめたまま、ふと窓の外へ視線を移した。

(陽太くん、今なにしてるんだろ……)

 ふいに、公衆浴場の湯気が脳裏に浮かぶ。乳白色の湯船から立ち上る蒸気の向こうで、陽太の肩甲骨がきゅっと引き締まった瞬間。彼が振り向いた時の、子供っぽい笑顔と大人びた目元のコントラスト。

思い出すだけで、鎖骨のあたりがじわりと熱を帯びる。息が浅くなり、唇が自然と湿り気を求めた。

「ねえ、三年上の先輩と付き合ってる子いるじゃん? あれってちょっとロリコンっぽくない?」

「でもさ、最近年の差婚って増えてるってテレビで見たよ。有名人とか、すごい年下の奥さんと結婚してるし」

「ほら、芸能人ってそういうの多いよね」

「でもさ、女が年上だとなんか変な目で見られる気がする。有名な女優さんが年下の旦那さんと結婚したとき、ネットで色々言われてたし」

「ほんとそれ。男が年上だと“お金目当て?”って言われるし、女が年上だと“ロリコンの逆?”みたいに言われるし」

「あと、アイドルとか若い子が好きって言ってる芸能人も多いよね。そういうの、ちょっと引く」

「芸能人なら許されるのかなぁ。普通の人だったら絶対変な目で見られるのに」

斜め後ろの席から聞こえてくる女子たちの会話が、琴音の耳にじわじわと染み込んでくる。気づけば、鉛筆を握る手に力が入っていた。

(なんで、こういう話だけはちゃんと聞こえちゃうんだろ……)

胸の奥がきゅっと締めつけられる。指先がじんわり湿って、ノートに小さな汗の跡がにじんだ。

(私、もうすぐ十八。陽太くんは、まだ十一。来年には私は高校卒業で、陽太くんは……まだ小学生なんだ)

その現実が、急に胸に重くのしかかる。窓の外のアジサイが、さっきよりも遠く、ぼんやりと霞んで見えた。

「おいおい、みんな真面目に聞いてるのかー?」

教卓を叩く音が響き、教室の空気が一気に現実に引き戻される。進路指導のプリントが配られ、ざわめきが広がった。

「年の差の話から、進路の話か……なんだか現実的になりすぎて息苦しい」

琴音がため息をつこうとした瞬間、後ろから葵が身を乗り出し、肩をぽんと叩いた。その指先の温もりが、沈んだ気持ちを少し和らげる。

「琴音は進路、どうするの?」

葵は、いつもの淡々とした声で何気なく尋ねてくる。

琴音は少し考え、机の端をなぞりながら答えた。

「今、特にやりたいこともないし……。うーん、公務員になれる近くの短大とか、大学とか……かな」

口にした自分の将来像は、どこか他人事のようにぼやけていた。

「葵ちゃんはどうするの?」

葵はうーんと唸り、髪を指にくるくる巻きつけて天井を見上げる。――それは、彼女が何かを真剣に考えているときの癖だった。

「もしかして実家のお店、継ぐとか?」

琴音が尋ねる。葵の家は地元で有名な月村食堂だ。

「まさか。客商売は好きだけど、実家の店は継がないかなぁ……」

葵はプリントの余白に小さな花模様を描きながら答えた。指先が紙の上をすべるたび、淡い花が静かに咲いていく。

「ねえねえ、何盛り上がってんの?」

岡部透が突然、後ろからひょいと顔を覗かせた。葵の幼馴染で、クラスのお調子者。短く切った髪を無造作にかき上げ、落ち着きのない視線をきょろきょろと泳がせている。

「別に、アンタには関係ないし」

葵は即座に素っ気なく突き放す。

「冷たいなあ~。俺だって混ぜてよ」

岡部は肩をすくめて、堂々と琴音たちの机の隣に腰かけた。大げさな動きに、周りの何人かがちらりと視線を向けるが、本人はまったく気にしていない。

「わかった、進路の話だろ? 俺は断然、公務員。地方公務員を目指してんだ」

「だから聞いてないって」

葵は呆れたように返すが、口元がわずかにほころぶ。

琴音は思わず口元を手で押さえた。笑いをこらえきれず、喉の奥がくすぐったくなる。

(幼馴染って、こういう距離感なんだ……ちょっと羨ましいな)

「ところでさ、駅前に新しくできたカフェ知ってる? 『Cafe Annamirage(アンナミラージュカフェ)』ってやつ! 天井が全部ステンドグラスでさ、まるで教会みたいなんだよ!」

岡部は身振り手振りで熱弁する。葵は呆れたように頬杖をつき、ちらりと岡部を見上げた。

「岡部、モテもしないのに、よくそんな情報仕入れてくるよね」

「モテもしないは関係ないだろ、みんなで行こうぜ!」

「あんた一人で行ってきなよ」

葵はまた岡部に冷たく言い放つが、その視線はどこか楽しげだった。

岡部は気にする様子もなく、さらに畳みかける。

「たまには文化的な空間でお茶しようぜ!琴音ちゃんもそう思うだろ?」

琴音は無理に笑顔を作って頷いたが、頬の筋肉が少し引きつる。

(みんなで出かけるのも、たまにはいいかも……でも、やっぱりちょっと緊張する)

担任の先生がプリントを配り終えると、一瞬だけ紙の擦れる音が教室に残り、その後すぐにざわめきが広がった。

「はい、それじゃあ今日はこれで終わり。プリントは忘れずに持ち帰るように。気をつけて帰ってください」

先生の声が静かに響く。生徒たちは一斉に椅子を引き、机の中に荷物をしまい始めた。

琴音はプリントを鞄にしまいながら、小さく息を吐いた。

斜め前の葵が「じゃ、行ってみよっか」と声をかけ、イヤホンをしまいながら立ち上がる。

岡部は「よし、カフェ『Cafe Annamirage』に出発だ!」と大きな声で宣言し、机の上に鞄を放り投げる。

***

三人は教室を出て、廊下を並んで歩き始めた。

窓の外はすっかり夕方の色に染まり、廊下からは部活動に向かう生徒たちの足音や、放送委員のアナウンスがかすかに聞こえてくる。

琴音は一度だけ教室を振り返る。友達同士で「バイバイ」と手を振り合う姿や、プリントを鞄にしまいながら小さくため息をつく生徒が目に入る。

整然と並ぶ机と椅子、黒板の前に残されたチョークの粉、掲示板の時間割――それらが、静かに夕焼け色に染まっていた。

廊下から漏れる放送委員のアナウンスが、どこか遠い世界の出来事のように耳をかすめる。

西日が斜めに差し込み、床や机の上に細長い影を描いている。窓の外からは、部活動を終えた生徒たちの笑い声や、グラウンドでボールを蹴る音が微かに混じって聞こえてくる。

琴音は鞄の中からスマホをそっと取り出し、指先で画面をなぞった。待受には、あの日、陽太と待ち合わせた温泉街の風景写真。

(あの時の湯気、まだ指先に残ってるみたい……)

スマホの表面はひんやりしているのに、胸の奥に小さな火種が灯ったような感覚が広がる。

現実の夕焼けと、画面の中の思い出が静かに重なった。ほんの一瞬、時間が止まったような気がした。

第15話に続く

カテゴリーが設定されていません。

おすすめゲーム

SHESAIDのイラスト

お兄ちゃんの命令は絶対!?

お兄ちゃんの命令は絶対!?

黄門様エクリプス道中

黄門様エクリプス道中

お布施

固定ページ

おすすめ電子書籍サイト

AmazonのオーディオブックAudible

【漫画・イラストクリエイターなら知るべき理由】

創作時間を活用した"耳の学習"で、作風・ストーリー研究が加速。
朗読される小説・ビジネス書から創作インスピレーションが湧く、
プロクリエイターも愛用のサービスです。

推し活クリエイターなら、推し声優の朗読作品で、
創作の息抜きもできます。

→ 30日間無料で試す価値あり!

Clip Studio Paint(クリップスタジオ)

【イラスト・漫画制作を加速させる理由】

業界標準ツールだから、プロ漫画家の作例・チュートリアルが豊富。
背景素材・3D機材の自動生成で、制作時間が大幅短縮。

SNS発表用のイラスト~商業連載まで、このツール一本で対応できます。
永続ライセンス版なら、一度の購入で長く使えるコスパも◎

楽天Kobo(電子書籍)

【創作研究に欠かせない理由】

最新トレンド漫画・ノベルが豊富で、
創作の参考資料探しが圧倒的に効率的。

セール時は50~70%OFFになることも多く、
最新作を安く研究できます。

楽天ユーザーなら、ポイントがザクザク貯まるのも嬉しい。

-