第17章:自我との闘い フライング・コード~遺伝子の胎動~ 

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第17章:自我との闘い フライング・コード~遺伝子の胎動~ 

西園寺のGFOエージェントたちに由布厚生が連行されていく様子を、清六たちは控室から見守っていた。長きにわたる「プロジェクト・ガストロノミックマター」の黒幕がついに逮捕され、すべてが終わったかに思えた。

「これでようやく…」

清六は安堵のため息をついた。窓の外では、混乱した国際食品フォーラムの参加者たちが建物から避難している。

「まだ油断はできない」

霧島は厳しい表情でトランシーバーを握りしめ、低く鋭い声で部下に指示を飛ばしていた。

「由布厚生は狡猾だ。簡単に諦めるタイプではない」

彼の言葉が的中するかのように、突然、建物全体に緊急アラームが鳴り響いた。赤い非常灯が断続的に部屋を照らし、機械的な女性の声がアナウンスを流す。

『緊急事態発生。全職員は安全エリアに避難してください。繰り返します…』

「何が起きたの?」

沙織が不安げに清六の袖を掴む。霧島はトランシーバーで部下と連絡を取り、表情が凍りついた。

「由布が…脱走した」

「何だっですって?」

彩乃が声を上げた。部屋の空気が一気に凍りつく。

「どうやって?彼は厳重に…」

「内通者がいたようだ」

霧島の声は怒りに震えていた。

「彼の部下の一人がGFOのエージェントを欺き、由布を解放した」

「彼はどこに?」

清六が尋ねる。膝が震え、手のひらに冷たい汗がにじむ。

トランシーバーから緊急の連絡が入り、霧島の顔色が変わった。

「地下だ。『共鳴タンク』がある展示ホールに向かっている」

「FCT-2は?」

玲が鋭く尋ねた。

「千尋はどこだ?」

霧島は再びトランシーバーで確認し、表情がさらに硬くなった。

「彼女も一緒だ。由布の部下が彼女を連れ去ったようだ」

「いや…」

清六の体から力が抜け、膝が床につきそうになる。つい先ほど自我を取り戻したばかりの千尋が、再び由布の手に落ちたのだ。

「急いで!」

玲が叫び、手を震わせながら先頭に立った。

「由布は何かを企んでいる。あの『共鳴タンク』を使うつもりだわ」

***

一行は控室を飛び出し、展示ホールへと向かった。霧島はトランシーバーで応援を要請し、彩乃は会場の非常口を封鎖するようスタッフに指示を出していた。

人々の叫び声と足音が交錯し、非常灯の赤い光が廊下を染める。清六たちは人波をかき分け、息を切らしながら階段を駆け下りた。

「あそこ!」

凪子が前方を指さした。ソラティア研究所のブースが見える。

巨大な円筒形の装置-「共鳴タンク」が、異様な存在感を放っていた。その前には由布厚生と数人の部下が立ち、千尋を囲んでいる。

「由布!」

霧島が叫ぶ。

「やめろ!もう終わりだ!」

由布は振り返り、薄く唇を歪めて冷たい笑みを浮かべた。瞳には狂気の光が宿っている。

「終わり?いや、これは始まりだ」

彼は千尋を「共鳴タンク」の方へ押しやった。千尋の瞳は虚ろで、動きは機械のようにぎこちない。まるで魂が抜けたかのようだった。

「やめろ!」

清六が胸の奥が熱くなりながら一歩前に出る。拳を握りしめ、由布を睨みつけた。

「千尋さんを自由にしろ!」

「彼女は私の作品だ」

由布は低い声で、どこか陶酔した響きを持って言った。

「そして、彼女の能力こそが私たちの勝利への鍵なのだ」

由布の背後で、技術者たちが「共鳴タンク」を操作し始める。装置が重低音を響かせ、床が微かに震え始めた。警告ランプが点滅し、空気がじわじわと重くなっていく。

「君たちの仕込んだプログラムは無効化した」

由布は唇を歪め、得意げに言った。目は異様な光を帯び、手は装置を指し示す。

「私は常にバックアッププランを用意している。このタンクを使えば、千尋の『活性化』能力を増幅し、その効果を大分市全域に及ぼすことができる」

「狂気の沙汰だ!」

霧島が怒鳴った。声がホールに響き、空気が一気に張り詰める。

「一般市民に影響を与えるつもりか?」

「目覚めさせるのだ」

由布の目には陶酔したような光が宿っていた。

「彼らに本当の日本食の素晴らしさを感じさせ、食の独立を取り戻すための第一歩とするのだ」

「それは洗脳よ!」

玲が怒りに震えながら叫ぶ。

「誰も洗脳なんかして欲しくない!」

「もう遅い」

由布は手を上げ、部下たちに千尋を装置に連れて行くよう指示した。

清六たちは前進しようとしたが、黒服の警備員たちが立ちはだかった。

彼らは武装しており、簡単には突破できない。清六は息を詰め、警備員たちの動きを見極めようとした。部屋には重苦しい静寂が流れる。

「どうしよう…」

清六は焦りを感じていた。手のひらにじっとり汗がにじむ。時間がない。「共鳴タンク」が完全に起動する前に、千尋を救出しなければならない。

「私に考えがあるわ」

玲が小声で言った。拳を握りしめ、瞳に強い光を宿している。

「私が彼らの注意を引く。その隙に、清六と彩乃で千尋を救出して」

「どうやって?」

「『活性化』よ」

玲の声は震えていないが、全身から緊張が伝わる。

「自ら『活性化』状態になり、彼らに対抗する」

「危険すぎる!」

清六が反対した。心臓の鼓動が速くなるのを抑えられない。

「いいえ、私なら大丈夫」

玲は自信を持って言った。視線は揺るがず、決意に満ちている。

「私は『活性化』をコントロールできる。そして、あなたにもそれを教えた」

彼女は清六の目をじっと見つめた。

「あなたもできるはず。自分の『核』を保ったまま、『活性化』の力を使うことが」

清六は迷った。手のひらに汗がにじみ、呼吸が浅くなる。玲が教えてくれた通り、彼は「活性化」をある程度コントロールできるようになっていた。しかし、完全に制御できるという自信はなかった。

「僕は…」

「信じて」

玲は静かに微笑んだ。目には揺るぎない決意が宿っている。

「あなたには力がある。それを受け入れて」

清六は深く息を吸い、胸の奥で鼓動が高鳴るのを感じた。

「わかった。やろう」

霧島には作戦を簡単に説明し、彼はGFOのエージェントたちに命令を出した。

「用意はいい?」

玲が小声で尋ねた。清六は頷く。

「いくわよ…3、2、1…」

玲は目を閉じ、深く息を吸った。彼女の体から熱気のような気配が立ち上り、空気がわずかに震える。目を開けた瞬間、金色の光が瞳に宿り、しかしその奥には玲自身の意識がしっかりとあった。

「行くわよ!」

玲は一瞬で前方に躍り出た。警備員たちが驚く間もなく、彼女は身を翻し、腕を払って次々と無力化していく。その動きは流れるように美しく、まるで舞踏のようだった。

「今だ!」

霧島が叫ぶ。

清六も目を閉じ、自分の中にある「活性化」の感覚を呼び起こした。筋肉が熱を帯び、視界の端が黄金色に染まる。心臓が激しく鼓動し、全身に力がみなぎる。

『僕は文学を愛する清六だ』

彼は心の中で呟き、自分の「核」を強く意識した。

『この力も僕の一部だ』

視界が黄金色に染まり始めても、意識ははっきりしていた。彼は完全に自分自身でいながら、「活性化」の力を感じている。

「清六くん…」

沙織は両手を握りしめ、息を呑んで清六を見つめていた。

「大丈夫」

清六は微笑み、金色の光を宿した目で沙織に頷いた。

「戻ってくるよ」

玲が開けた突破口に向かって、清六は走り出した。警備員の間をすり抜け、肩をかわし、足音を響かせて一直線に千尋のもとへと駆け抜けた。

「FCT-1が来るぞ!止めろ!」

由布が叫んだ。部下たちが清六に向かって殺到するが、清六は壁を蹴り、天井の梁をつかんで一気に跳躍した。警備員たちが驚き、手を伸ばすが、その指先は空を切る。玲から学んだ動きを駆使し、頭上を飛び越えていく。

その間にも、「共鳴タンク」の起動プロセスは進行していた。装置が重低音を響かせ、床が微かに震える。千尋は既に装置に接続され、体から異様な金色のオーラが立ち上っていた。空気が熱く歪み、周囲の緊張が高まる。

「千尋さん!」

清六は装置に向かって叫ぶ。息が荒く、胸が痛いほど高鳴る。

「自分を取り戻して!あなたは料理で人を幸せにしたかったんじゃないですか?」

千尋の無表情の顔に、わずかに変化が現れる。目に一瞬だけ迷いの色が浮かび、指先がかすかに動いた。

「あと30秒で起動完了します」

技術者が由布に報告する。

「素晴らしい」

由布は満足げに唇を歪め、目に狂気の光を宿す。

「これで大分市全域に効果を及ぼせる!」

「させない!」

清六は最後の障害物を飛び越え、「共鳴タンク」に到達した。全身に力を込め、肩からガラスに突っ込む。強化ガラスは簡単には割れないが、小さなひびが入る。腕に鈍い痛みが走るが、さらに力を込めて二度、三度と体当たりする。

「何をする!」

由布が怒鳴る。声はかすれ、顔が歪んでいる。

三度目の衝撃で、ついにガラスが砕け散る。清六は千尋に手を伸ばし、強く引き寄せた。千尋は抵抗せず、装置から引き離される。接続ケーブルが外れ、「共鳴タンク」の起動プロセスが中断された。

「いやだああっ!」

由布は顔を歪め、声を張り上げて叫ぶ。拳を振り上げて抵抗しようとするが、もはや無力だった。

清六は千尋を抱きかかえ、装置から離れる。彼女は意識を失っているようだったが、その顔からは「活性化」の痕跡が薄れ始めていた。

「戻るぞ!」

「共鳴タンク」に大きな損傷が生じ、けたたましい警告音が鳴り響く。赤い非常灯が点滅し、床が微かに震える。焦げたような匂いが漂い始めた。

「避難しろ!」

霧島が全員に叫んだ。清六は千尋を抱えたまま、玲と合流して安全地帯へと駆け出す。由布は最後まで「共鳴タンク」の修復を試みようとするが、GFOのエージェントたちに強制的に引き離された。

建物から全員が避難した直後、地下展示場で爆発が起きた。轟音とともに「共鳴タンク」は完全に破壊され、由布の計画は水泡に帰した。

***

安全な場所で、清六たちは息を整えていた。「活性化」状態から戻った清六は、疲労感こそあるものの、意識は明瞭だった。玲は優しく清六の肩を叩き、静かな声で微笑む。

「よくやった。自分をコントロールしながら『活性化』の力を使えたわね」

「あなたのおかげです」

清六は感謝の笑みを浮かべ、玲の手の温もりに励まされた。

「でも、千尋さんは…」

彼は自分の腕の中で静かに横たわる千尋を見つめる。彩乃は千尋の脈をとりながら、落ち着いた表情で状態を説明した。

「大丈夫。『活性化』のショックから回復中よ。彼女の自我は戻りつつある」

そのとき、千尋のまぶたがわずかに震え、ゆっくりと開いた。全員が息を呑み、静寂が辺りを包む。千尋は混乱した様子で周囲を見回し、やがて清六の顔に視線が止まった。

「あなたは…」

千尋の声は弱々しかったが、そこには確かに感情があった。涙が頬を伝い、清六の腕の中で小さく体を震わせている。

「FCT-1…いえ、天野清六さん」

「ああ」

清六は優しく微笑み、彼女の背中をそっと撫でた。

「大丈夫ですか?」

千尋の目に涙が溢れた。指先が清六の袖をそっとつかむ。「活性化」状態では決して見られなかった、純粋な人間の感情がその仕草に現れていた。

「ありがとう…」

彼女は初めて感情を込めてその言葉を口にした。

「私を…救ってくれて」

清六は胸の奥が熱くなるのを感じ、安堵のため息をついた。千尋の体温が彼の腕に伝わり、人間らしさが戻ったことを確信する。

少し離れた木陰で、沙織がスカートの裾を握りしめていた。無意識に唇を噛み、清六と千尋のやり取りを見つめる瞳には、喜びと寂しさが入り混じっている。

「心配することはないわよ」

玲がそっと沙織の隣に立つ。肩に手を置き、かつて自分が感じた孤独を思い出しながら穏やかに続けた。

「彼は彼女を助けただけ。同じ境遇の仲間として」

「わかってる」

沙織は小さく微笑んだが、視線は千尋の清六に触れた手元から離れない。

「でも…清六くんと千尋さんは同じ『料理遺伝子人間』。私には理解できない世界を共有してる」

玲は沙織の手を優しく握り、確信に満ちた声で言った。

「それは違うわ。彼が大切にしているのは『文学』。そして──」

視線を清六に向け、彼が千尋に文学の話をしている様子を見ながら、

「彼の周りの人々よ。私たちの境遇は似ているけれど、それぞれの『核』は違う」

その時、一陣の風が木々を揺らし、木漏れ日が沙織の髪を金色に染めた。清六がふと沙織の方を見上げ、安心したように微笑みかける。

沙織は思わず息を呑んだ。その笑顔に、胸の曇りがふわりと晴れていくのを感じた。

***

由布厚生はGFOのエージェントたちによって確実に拘束され、複数の国際法違反の容疑で逮捕された。

彼の「共鳴計画」は完全に失敗し、ソラティア研究所は国際機関の管理下に置かれることになった。警察車両のサイレンが遠ざかる中、報道陣のフラッシュが窓越しに瞬いている。

「FCTシリーズ」の存在は、世界に衝撃を与えた。一方で、清六、玲、千尋の三人には、自分たちの未来を自分で選ぶ権利が認められた。

「活性化回路」の除去手術を受けるか、それとも自分の能力と共に生きていくか-選択は彼ら自身に委ねられた。

清六は深く息を吸い、玲や千尋と視線を交わす。三人の間に、言葉にならない希望と決意が生まれていた。

清六は千尋を安全な場所に横たわらせ、沙織の元へと歩み寄った。

「大丈夫?」

彼は優しく尋ねた。沙織は清六の手をそっと握り、安堵の涙をこぼした。

「うん…あなたがあんな風に『活性化』して…怖かった」

「ごめん」

清六は申し訳なさそうに微笑み、沙織の手を優しく包み込んだ。

「でも、もう大丈夫だよ。自分をコントロールできる。これからは『活性化』に支配されることはない」

沙織は清六の目をじっと見つめた。そこにはもはや金色の光はなく、いつもの優しい瞳が戻っていた。それは確かに、彼女の知る清六だった。

「よかった…」

彼女は安堵の表情を浮かべた。

「これで、本当に終わったのね」

「うん」

清六は空を見上げた。青空には雲ひとつなく、夏の風が静かに頬を撫でていく。

「ようやく、僕たちは自分の道を選べるようになった」

第18章:システム崩壊

 

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