第20章:自分の道を選ぶ フライング・コード~遺伝子の胎動~ 

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第20章:自分の道を選ぶ フライング・コード~遺伝子の胎動~ 

大分での事件から一週間後、福岡。GFO日本支部の会議室には、関係者全員が集められていた。会議室には静かな緊張が満ち、書類をめくる音だけが響いている。窓からは夏の柔らかな光が差し込んでいた。

清六、沙織、玲、千尋、誠司、彩乃、凪子-そして霧島と西園寺が向かい側に座っていた。

「では、正式に報告します」

西園寺は厳かな声で言った。全員が息を呑み、彼の顔を見つめている。

「世界食品監視機構は、ソラティア研究所の『プロジェクト・ガストロノミックマター』に関する全データを検証し、その非倫理的な実験手法と人権侵害の実態を国際倫理委員会に提出しました」

彼はテーブルの上の書類に目を落とし、短い間を置いた。

「委員会は全会一致で、このプロジェクトの即時かつ完全な中止を命じました。関与した科学者たちの大半は既に逮捕され、国際裁判所での審判を待っています」

「由布と別府は?」

清六が静かに尋ねる。

「由布厚生は現在も入院中ですが、容体が安定次第、国際裁判所に移送される予定です」

霧島が補足した。

「別府理事長は既に拘束され、人体実験の責任者として厳しい審判を待っています」

「そして、最も重要な点ですが」

西園寺は清六、玲、千尋を見つめ、フォルダから新しい書類を取り出した。

「『料理遺伝子人間』として創造された皆さんの法的地位について、特別議定書が採択されました」

一瞬だけ場が静まり返る。

「皆さんは完全な人権を有する個人として認められ、自らの意思で将来を決定する権利が保証されます。同時に、皆さんの遺伝子情報は国際管理下で厳重に保護され、同様のプロジェクトが二度と行われないよう、法的措置が取られました」

清六は肩の力が抜け、思わず目を閉じて深呼吸した。玲は小さく拳を握り、千尋は涙をこらえていた。

これで彼らの立場が公式に認められたのだ。「実験体」ではなく、一人の人間として。

窓の外には新しい朝の光が広がっていた。これからの未来が、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。

「具体的には、どういう処遇になるの?」

玲が実務的な口調で尋ねた。会議室には静けさが漂い、春の光がカーテン越しに差し込んでいた。

「皆さんには三つの選択肢があります」

霧島が説明した。西園寺の説明に、一瞬だけ場が静まり返った。

「一つ目は、『活性化回路』の完全除去手術を受け、一般社会に完全統合する道。GFOが新しいアイデンティティと生活基盤を提供します」

「二つ目は?」

「現状のまま、『活性化能力』を保持して生きる道。ただし、定期的な健康診断とモニタリングを受けることが条件です。また、能力の悪用を防ぐため、GFOの監督下に置かれます」

「監督下?」

千尋は膝の上で手を組み、不安そうに尋ねた。

「監視ではありません」

西園寺が穏やかに微笑んだ。

「あくまでサポートです。皆さんが自分の能力を正しく扱い、社会に適応するための支援体制を整えるということです」

「三つ目の選択肢は?」

清六が静かに尋ねた。

「GFOの特別研究プログラムに参加する道です」

霧島が言った。

「皆さんの特殊能力を食文化保存や食品安全の分野で活かすプログラムです。もちろん、完全な自由意志による参加が前提です」

玲はまっすぐ前を見つめ、静かに頷いた。

「私たちが選ぶということですね」

「そうです」

西園寺は優しく微笑んだ。

「今日は選択を迫るためではなく、選択肢を提示するために集まりました。決断は急がなくて構いません。十分に考えてください」

***

会議が終わり、一行は福岡の街に出た。会議室を出ると、夏のやわらかな風が頬を撫でた。街は穏やかな午後の日差しに包まれていた。それぞれの未来が、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。

「さて、みんなはどうする?」

誠司が尋ねた。彼の顔には晴れやかさがあった。長年の秘密を抱えていた重荷から解放されたのだ。

「私は山に戻るわ」

玲は椅子の背もたれに手を置き、決然と言った。

「『天ぷら屋みれい』を拡張して、新しい食堂を開こうと思ってる。『活性化能力』を持ったまま、自分の料理で人々を幸せにしたい」

「素敵な計画ね」

彩乃が微笑んだ。

「私も研究所での仕事は終わりました。これからは食品安全の分野で、正しい形で研究を続けるつもりです」

「じゃあ、僕は…」

清六はしばらく考え込み、沙織の方をちらりと見た。彼女は期待と不安が入り混じった表情で彼を見つめていた。

「僕は福岡に残って、大学での文学の勉強を続けようと思う」

彼は決意を込めて言った。

「『活性化能力』は保持するけど、それだけが僕の人生じゃない。文学への愛も大切にしたい」

沙織の表情が明るくなった。

「じゃあ、一緒に福岡にいられるのね」

「うん」

清六は彼女に微笑みかけた。

「でも…」

彼は玲の方を向いた。

「週末は玲さんの食堂を手伝いに行くよ。この能力も大切にしたいから」

「ありがとう、清六」

玲は嬉しそうに頷いた。

「いつでも歓迎するわ。『料理遺伝子人間』同士、助け合っていかないとね」

「私も…」

千尋が静かに言った。夏の光が窓から差し込み、彼女の頬を優しく照らす。彼女はこの一週間で徐々に自分の意志を取り戻していた。まだ声は小さく、時々言葉に詰まることもあったが、確実に彼女自身が戻りつつあった。

「私も玲さんの食堂で働かせてもらえませんか?」

「もちろんよ」

玲は優しく微笑んだ。

「大歓迎よ、千尋。一緒に素晴らしい料理を作りましょう」

千尋の表情に、初めて柔らかな笑みが浮かんだ。

「はい…私も自分の道を探してみたいんです。料理を通じて、本当の自分を見つけたい」

カフェの外に出ると、春風が頬を撫でた。

それぞれの未来が、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。

「私はどうしようかしら」

凪子は海に目をやり、ノートを膝の上で閉じた。

「この事件をルポルタージュにまとめる作業があるけど…時々、玲さんの食堂で『活性化料理』を食べに行ってもいいかしら?」

「いつでも来てね」

玲は笑った。

「特別席を用意しておくわ」

潮風が頬を撫で、波の音が静かに響く。彼らは福岡の海沿いを歩きながら、それぞれの未来について語り合った。金色の夕陽が海面にきらめいていた。

***

「言わなきゃ」

清六が突然、足を止めた。

「何を?」

沙織が不思議そうに尋ねる。

「この一ヶ月…いろんなことがあった」

清六は一度深呼吸し、真剣な表情で沙織の目を見つめた。

「僕が『料理遺伝子人間』だと知っても、君は傍にいてくれた。危険な目に遭っても、一緒にいてくれた」

「当然よ」

沙織の声は静かだが、強かった。彼女は涙を浮かべながら微笑んだ。

「あなたは私の大切な人だもの」

「僕も…沙織が大切だ」

清六の頬が赤くなり、彼は沙織の手をしっかりと握った。

「これからも一緒にいてほしい。僕が何者であっても、僕の隣にいてほしい」

沙織の目に涙が光った。

「もちろん」

彼女は清六の手を取った。

「あなたが『料理遺伝子人間』でも、ただの文学好きの学生でも、私はずっとそばにいるわ」

二人の間に言葉はなかったが、その沈黙は雄弁だった。指が絡まり、約束が交わされる。

「あら、いい雰囲気ねぇ」

凪子がからかうように言った。

「ちょっと、見てないで!」

沙織が赤面して抗議した。

皆の肩から力が抜け、自然と笑い声がこぼれる。夏の風が背中を押してくれるようだった。長く苦しい旅路の終わりと、新しい旅の始まりを感じさせる、明るい笑いだった。

***

一ヶ月後、大分県の山間。「天ぷら屋みれい」は拡張工事の真っ最中だった。山の緑がまぶしく、遠くで鳥の声が響いている。新しい木材の香りと、工事のリズムが心地よく混ざり合っていた。

玲の指揮の下、新しい調理場と客席が増設されようとしている。

「ここに窓を大きくして、山の景色が見えるようにしたいの」

玲は工事業者に指示を出しながら、一緒に来ていた清六と沙織に説明した。

「『料理と風景』がコンセプト。大分の美しい自然と共に、私たちの料理を楽しんでもらいたいの」

沙織は大きく息を吸い、目を輝かせて窓の外を見つめた。

「素敵ね。完成が楽しみだわ」

「ここは千尋の専用キッチン」

玲は新しく作られた調理場を指さした。

「彼女は『大分のだんご汁』の専門家になるつもりなの。『活性化能力』は取り除いたけど、彼女の料理の腕は確かよ」

千尋は先週、手術を受けたばかりだった。「活性化回路」を完全に除去する手術は成功し、彼女は一般の人間として新たな一歩を踏み出していた。今は山の別荘で、湯気の立つ鍋を前に、静かに味見をしていることだろう。

「彼女、元気?」

清六が心配そうに尋ねた。

「ええ、順調よ」

玲は優しく微笑んだ。

「『活性化』の記憶がないだけで、料理の記憶と技術は残っているの。彼女は今、自分の手で料理を作ることの喜びを再発見しているところよ」

清六は肩の力が抜け、自然と微笑みがこぼれた。

「次は僕もキッチンに立とう。約束通り、週末は手伝いに来るよ」

「頼りにしてるわ」

玲は清六の肩を叩き、冗談めかしてウィンクした。

「あなたと私の『活性化料理』のコラボレーション。人々を幸せにする料理を一緒に作りましょう」

「GFOの監視…じゃなかった、サポートは?」

沙織が少し心配そうに尋ねた。

「心配ないわ」

玲は笑った。

「月に一度、霧島さんが『視察』に来るだけよ。もっとも、彼の本当の目的は私たちの料理を食べることだと思うけど」

沙織もつられて笑い、三人の笑い声が山の空気に溶けていった。夏風が新しい未来を運んできた。

***

福岡に戻る途中、清六と沙織は列車の窓から流れる風景を眺めていた。車輪の音が規則正しくレールを叩き、窓の外には夕焼けに染まる大分の山々が滑るように過ぎていく。

「『料理遺伝子人間』という言葉を聞いてから、もう一ヶ月が経つんだね」

清六は遠くを見つめながら言った。

「僕の人生を変えた一ヶ月」

「良い方向に変わったと思う?」

沙織が優しく尋ねた。彼女は清六の手をそっと握る。

「うん」

清六は頷き、沙織の手の温もりを確かめるように指を絡めた。

「自分が何者なのかを知った。そして、自分で道を選べるようになった」

彼は沙織を見つめ、微笑んだ。

「何より、大切な人たちと出会えた」

二人の間にしばし静けさが流れ、車窓の外の景色がゆっくりと移り変わっていく。

沙織は嬉しそうに微笑み、目を細めて清六を見つめ返した。

「私も、あなたに出会えて良かった」

夕陽が山の端に沈み、空には一番星が瞬き始めていた。列車は静かに、二人の新しい人生へと走り続けていた。

***

半年後、GFO日本支部。西園寺の執務室には朝の光が差し込み、窓の外には新緑が揺れていた。霧島が静かに報告書を差し出す。

「『料理遺伝子人間』の現状報告です」

霧島は書類をそっとテーブルに置き、穏やかに微笑んだ。

「宇佐美玲と天野清六は『活性化能力』を保持したまま、社会に適応しています。彼らの料理店『天ぷら屋みれい』は地域の名物になりつつあります」

「問題は?」

「特にありません」

霧島は自信を持って答えた。

「彼らは能力を適切に管理し、人々に喜びを与えることに使っています。客の中には政治家や企業家も多いようですが、『催眠効果』などはなく、単に『美味しい料理』を求めて訪れているだけです」

「九重千尋は?」

「手術後、順調に回復しています。彼女も同じ店で働き始め、『大分の郷土料理』の専門家として評価を受けています」

西園寺は満足げに頷き、窓の外に目をやった。

「天野清六は大学での研究も?」

「はい、文学部で優秀な成績を収めています。特に夏目漱石研究で注目されているようです」

「良かった」

西園寺は静かに息を吐いた。

「彼らは自分の道を見つけたんだな」

「はい」

霧島も窓の外の青空を見上げた。

「『料理遺伝子人間』という存在は、確かに倫理的問題を孕んでいました。しかし、彼らは今、その能力を正しい形で活かし、自分らしく生きています」

同じ頃、「天ぷら屋みれい」は拡張された店内に客の笑い声と天ぷらを揚げる音が響き、窓からは春の光が差し込んでいた。

玲と千尋、そして週末には清六も腕を振るい、店は地域の名物として賑わっている。

「いらっしゃい」

玲が元気よく客を迎える。新緑が窓の外に揺れ、鳥のさえずりが聞こえてきた。

調理場では千尋が静かに、しかし確かな手つきで「だんご汁」を作っていた。

湯気を顔に受けながら、彼女は穏やかに微笑む。そこにはもう、以前の無感情な様子は微塵もなかった。

「千尋さん、その匂い、すごく良いね」

清六が天ぷらを揚げる手を止めて言う。

「ありがとう」

千尋は優しく微笑んだ。

「私、自分で見つけたの。料理の喜びを」

「良かったね」

「うん。『活性化』はなくても、私は料理が好き。人を喜ばせるのが好き」

カウンターの向こうからは、沙織が二人を見守っていた。週末になると必ず清六と一緒に山にやってきて、店を手伝っている。

「どう?」

沙織が清六の作った天ぷらを一口食べた。

「美味しい!『活性化』してない時でも、やっぱり上手いわね」

「ありがとう」

清六は嬉しそうに微笑んだ。

「僕は『活性化』を受け入れたけど、それだけが僕じゃない。文学も、友達も、沙織も…全部が僕の一部なんだ」

彼は天ぷらを揚げながら、静かに続けた。

「あの一ヶ月は大変だったけど、おかげで自分が何者なのかを知ることができた。そして、自分の道を選ぶことができた」

沙織はカウンター越しに清六を見つめ、そっと微笑んだ。その目には揺るぎない信頼が宿っていた。彼が何者であろうと、彼女の気持ちは変わらない。それが彼女の選んだ道だった。

春の柔らかな風が店内に入り、カーテンをふわりと揺らした。

新しい季節、新しい人生の始まりを告げるように、山々と店内をやさしく包み込んでいた。

エピローグ:新たな日常

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